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生き方から英語まで学べてしまう! 聖書は1度でも読んでおこう

 

私は自分自身や生きることを学ぶためにいろんな本を読んだりしますが、その中にはあの「聖書」もあります。

 

「聖書」と聞いて驚く方や不審に思う方もいるかもしれません。まず私はキリスト教徒ではありませんし、その系統の宗教の信者でもありません。

 

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幼稚園がキリスト教だった

 

聖書に出会ったきっかけは当時通っていた幼稚園がプロテスタントだったからです。毎年12月には生誕劇を行いました。私は天使の役を演じたのを今でも覚えています。

そして卒園記念としてサムネイル画像にある「新約聖書」をもらいました。

 

しかし聖書をもらっても大半がキリスト教徒では無いのでほとんどが捨ててしまうと思いますが、私はなぜか捨てることなく今日まで大切に保管しています。

20歳になる前にこの「新約聖書」を本格的に読むことになるのですが、この聖書は「口語訳」で書かれておりしかもタテ書きで非常に読みづらいのを感じました。口語訳とは原語にできるだけ近い訳とのことですが、読み通すのに苦労しました。

しかしネットで調べてみると聖書には口語訳の他にも「新共同訳」というのがあり、こちらは横書きもあって読みやすい訳とのこと。早速購入してじっくり読むことにしました。

 

 

私が好きな聖書の一節「ナザレで受け入れられない」

 

そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。

ルカによる福音書 4章24節

 

この「ナザレで受け入れられない」とはイエスが安息日に故郷のナザレで聖書を朗読した時のできごとです。人々は幼いころのイエスを知っています。そして様々なところで活躍していることも知っているので人々は「このナザレでも奇跡を起こしてくれるに違いない」と期待しました。

 

ところがイエスはそれを上記の様に否定します。人々は憤慨し、イエスを町の外に追い出し崖から突き落そうとします。しかしイエスは人々の間を通り抜けてナザレを立ち去るのです。

 

 

自分の故郷で歓迎されないとはタイトルにもある通り『受け入れられない』と同様の意味でしょう。「預言者」とは神の言葉を伝える人のことを言います。

 

故郷のナザレの人々は、イエスを「預言者」として『受け入れられない』のです。 なぜなら彼のことを昔から知っているからです。

彼の言葉を「預言者の言葉として聞くことができない」から奇跡は起きないとイエスは説いてるのでしょう。

 

あなたは「今」を生きているか

 

この話の中で重要なのは「過去」です。私達には常に「過去」がまとわりつきます。「過去」にとらわれてしまっていては「今」を充分に生きることはできないでしょう。

ナザレの人々からすれば過去のイエスというフィルターを通して今のイエスを見てしまうので「期待」をします。なので「今のイエス」という確固とした「柱=信仰」がないのです。

現実でも「幼なじみだから」とか「昔はこうだったから」のような感じにとらわれると「今」という柱が自分の中に立ちません。

「過去にとらわれず今を生きよ」と聖書は説いているんですね。

 

こうして聖書を読んでみると私は幼稚園で素晴らしいものを受け取ったと実感しています。でなければ聖書を読むことは一生なかったからです。聖書は世界最強の自己啓発書であり宗教書ではないことがおわかりいただけたでしょうか?

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